地域文化学会第172回月例研究会・公開セミナー 2012年9月8日(土)
講師:林原利明先生(アジア水中考古学研究所・理事)
テーマ:鷹島海底遺跡と日本の水中文化遺産―現状と課題
2012年3月27日に長崎県松浦市鷹島沖の一部が「鷹島神崎遺跡」として国内の水中遺跡としては初の国史跡に指定されたが、日本では水中文化遺産(Underwater Cultural Heritage)なるものが広く一般に知られておらず、適切に理解されているとはいい難い。このようななかにあって、水中文化遺産を周知し適切に理解する必要があるという認識のもと、日本における水中文化遺産を取り巻く現状と課題について、これまで考古学を専門とする立場から水中文化遺産の現場にも関与されてきた林原先生の見解が述べられた。
水中文化遺産とは、水中にあった人間活動の痕跡に対する総称である。同種の名称として水中遺跡が用いられる場合もあるが、後者においては「常時水面下にある遺跡」と限定的に捉えられている。それに比して前者の方がより包括的でかつ水中文化遺産保護条約(The UNESCO Convention on the Protection of the Underwater Cultural Heritage 2001年採択、2009年発効。日本は未批准)でも使用されているなど、国際的にも通用する名称となっている。水中文化遺産を研究する方法として水中考古学(Underwater Archaeology)が一般に知られており、あたかも考古学(地上等の)とは別学問のように捉えられる傾向があるが、方法論等に相違はなく、あくまでも考古学の一分野である。
日本の水中文化遺産研究は1908年の諏訪湖底曽根遺跡(長野県)の発見を嚆矢とするが、本格的に水中発掘調査がなされたのは1974年からの開陽丸(北海道)の調査でであった。その後1980年に文部省科学研究費特別研究として水中考古学に関する基礎的研究が開始され、国内初の大規模な水中考古学の実験が行われた。こうしたなか、1986年の九州・沖縄水中考古学協会を初めとする民間研究団体の設立や2006年の東京海洋大学での水中考古学の教育・研究プログラムの開始、また国際社会における前述の水中文化遺産保護条約のユネスコ(国連教育科学文化機関)による採択など、水中文化遺産の重要性が徐々に認識されつつある。
こうした状況にあって、日本における埋蔵文化財行政において、水中文化遺産の法的な保護は充分とはいい難い。地上の文化遺産は文化財保護法により問題(疑義)なく保護されるが、水中文化遺産について同法が適用されるか疑義があり(但し、内閣法制局は海底から発見される物件も原則として文化財保護法の適用を受けると解している。昭和35年法制局一発第2号)、また水難救護法、遺失物法、民法等との関係も充分に明らかとなっている訳ではない。
上記のような法整備の不充分さもあって、水中文化遺産が一般に正しく周知されておらず、また適切な理解もされていないのが現状である。そのため研究体制も充分ではなく、保護・活用・研究の基礎となる水中文化遺産のデータベースも、充分ではない。こうして、法整備の不充分さに加えて水中文化遺産そのものが周知されていないという事実は「鶏と卵」的な問題ではあるが、今後は、データベースを構築し、シンポジウムや展覧会等による周知を図って、研究活動やその体制を充実させることが必要であり、法的な側面も含めて、陸上の遺跡と同等に扱われることが強く求められる。
[質疑応答](敬称略)
上記の講演に対して本学会の黒田壽郎理事長からコメントがあった後、以下の質疑応答がなされた。
(黒田)大変興味深い内容であった。水中文化遺産が周知されていないことは中東研究と同様な構造的な問題がある。また、現状では水中文化遺産といえども、もともと陸地にあったものが水中に存在するというものもあるが、それとは別に「海」固有の捉え方はないのだろうか。海からの視点を用いることによってより想像力のある豊かなものとなると考えられる。そのような視点で考えたとき、渡辺京二(1930年-)、折口信夫(1887-1953年)、柳田國男(1875-1962年)の各氏の業績は是非とも一読が勧められる。
(聴衆1)海上保安大学校に水中考古学の講座を開講するべきではないか。海上保安大学校には『大和型船』「航海技術編」(1982年)や「船体・船道具編」(2001年)など、和船の研究でも知られた堀内雅文名誉教授(1916-2001年)も研究・教育をしていたが、堀内先生はいわゆる水中文化遺産の問題にも造詣が深かった。このような点を考えると、文科省と国土交通省が緊密な連携をとって対応することは必要なのではないか。
(林原)海上で調査等をする際には海上保安庁にも必要な届け出をしており、海上保安庁の理解は必要である。今後は、(教育面も含めて)関係省庁が連携する必要があると考える。
(聴衆2)開陽丸はその後どのようになっているのか。
(林原)現地にある一般財団法人 開陽丸青少年センター(北海道)<http://www.kaiyou-maru.com/>に、引揚げ品は展示・保管されている。なお、未調査の部分(船体の約半分)は、現地海底に保存処置を施された上で、残されている。
(聴衆3)鷹島海底遺跡については「茂在寅男(1914年-)先生を囲む会」で聞いており関心があったが、今回発見された元の船の竜骨についてはどのようなことが解析されているか。
(林原)まだ発見したばかりであり解析はこれからである。混成部隊で4,000隻の船があり、色々な種類のものがあると思われるため、今後解析する。
以 上