2月(177回) 講演要旨・質疑応答

地域文化学会第177回月例研究会・公開セミナー 2013223日(土)

講師:李賛洙先生(韓国ソウル大学統一平和研究院研究教授)

通訳:李史好先生(中央学術研究所学術研究室)

テーマ:韓国人の平和認識と統一観

 

 韓国と北朝鮮の統一に向けた試みは、分断までの歴史的経緯、世界的情勢による影響を受けて取り組まれている。その歴史的経緯には、日本が深く関わっており、日本人も含めた皆の問題として捉え、平和的統一に向けて考える必要がある。そこでいう平和を韓国人がどのように認識し、その上でどのような統一観があるのかについて、韓国の政策との関連を示しながら、李先生の見解が述べられた。

 平和的な統一への願いは、韓国人のなかで年々薄れている。それは、2010年の天安艦の事件、同年の軍事訓練に関わる砲撃事件などを契機に、その傾向が顕著にみられる。これに対し、北朝鮮の一般市民にとっては、平和的統一を強く望む者が圧倒的多数といえる。そこには、韓国と北朝鮮との間に統一に対する想いの差異が生じている。

 とはいえ、依然として6割以上の韓国人が、平和的統一を望んでいるのである。ここでいう平和とは、ノルウェーのヨハン・カルトゥン(Johan Galtung)が二つに分類できると指摘している。一つが、直接的・武力的な暴力のない平和(消極的な平和)であり、もう一つが、構造的・文化的な暴力のない平和(積極的な平和)である。しかし、韓国と北朝鮮の統一に向けては、その両者が課題であり、これらを実現する過程そのものが統一である。よって韓国の平和学者は、平和と統一をコインの両側面として捉えて活動している。

 その活動は、1972年の「7.4南北共同声明」を契機として始まった。同声明は、南北の平和的統一に関する三原則(自主統一、平和統一、民族大団結)を謳っており、韓国近代史の中でも最も重要なものである。これは、韓国の軍事独裁政権下における労働運動の活発化という内部事情および米国と中国の関係改善が関わっているものの、それまでの北朝鮮との関係に大きな進展をもたらした。すなわち、それまで韓国では、朝鮮戦争以降、統一に関する主張は、反政府的活動とみなされ、公式の場でこれを議論することが許されなかった。しかし、先の声明によって、対北朝鮮対策につき、協調・対話路線への変更されたため、三原則の下に統一に関する議論が行われるようになった。そこには、韓国と北朝鮮が同時に国際連合に加盟しようとすることも含まれており、これは1991年に実現したのである。その後も、南北の首脳会談における基本的な趣旨は、7.4共同宣言を受け継いだものであった(2000年の6.15宣言、10.4宣言)。

 しかし、李明博政権(2008-2013年)では、北朝鮮に対し強硬政策がとられた。それは、与えたら必ず貰うとする硬直した相互主義に基づくものであった。この点、宗教団体および平和活動家たちは、それ以前の柔軟な相互主義に基づく太陽政策を支持している。この柔軟な相互主義とは、非同時性、非等価性、非対称性を特徴としており、宗教的な発想と通底するものであるためである。しかし、宗教と政治が分離されている社会においては、宗教団体などによる民間レベルでの平和的統一へ向けた直接的交流や活動には一定の制限があり、限界がみられる。

 かかるなかで、軟性複合統一論という研究が注目される。それは、多様な交渉と議論を通じ、韓国国内における統一への共通認識を高め、統一そのものを一つの過程とし、単純な制度的統一というよりはむしろ、小さな統一を多様に積み重ねたネットワークの構築を重視するものである。そのなかに、日本も多様な交流を通して関わり合いを持ち、この統一問題に積極的に働きかけることで、平和の文化が拡張され、東アジア全体にとっても有意義に働くものとではないでだろうか。

 

以上

 

[質疑応答]

上記の講演に対して、以下の質疑応答がなされた。

 

(聴衆1)延坪島の事件や日本海の問題に対してどのように考えるか。また北朝鮮が現在のような政策を行っている背景についてどう考えるか。

 

(李先生)一つ目の質問については、韓国では国民の納得がないままに情報が制限されている。また、北朝鮮も延坪島の事件の関与は認めたが、後者については決定的な発言を行ってはいない。そうして韓国、北朝鮮ともに保守的な政策から、事件の原因が不明のままとなってしまった。翻って竹島(国名、独)問題については、韓国、日本ともにこれを利用しようとする意図があることから、問題を解決する時期でないと考える人の大部分は竹島()を韓領土と思って、竹島()する歌も歌われてあるほどに竹島()して心が高い。それにもかかわらず、‘日帝時代’の経験による感情的判も作用しているため、竹島()問題は 竹島()だけの問題として捉えられていない。そして日本は東アジアにえた痛みを正面突破しないで、東アジア問題をアメリカのような西洋を通じて迂回的に解決しようとする節があり、互いが竹島()問題を正面から捉えられていないと考えられる。よって、歴史に対する眼差しが互いに近づいてきたときに、この問題に取り組むべきである。

 二つの目の質問については、個人的な意見ではあるが、北朝鮮は朝鮮時代の延長といえる。すなわち、世界の一般的な民主主義を経験することなく、日本からの独立後すぐに、秩序のない国を治めるために、金日成が独裁共産政治を強く行わざるを得なかった。そうした背景から、権力が集中し、その既得権益者がいる以上、これを変えることが難しい状況に陥ってしまった。そうして、自国の主権を維持していくために、最近の急激な世界情勢の変化には、適応できなくなってしまったと考えられる。

 

(聴衆2)南北統一に関して、宗教に対して敏感な国である中国はどのように捉えていると考えるか。

 

(李先生)東アジアは19世紀までは宗教的な背景において通ずるところが多かった。しかし、思考構造や生活様式のパラダイムが西洋的に変わってきており、この受入について差異が生じている。韓国はキリスト教信者が多数おり、日本と同様に宗教的な自由が取り入れられた。しかし、中国では宗教に対する議論が実質的にできていない。そのため、政権としてそれ(ある宗教)が危険かどうかを判断するために宗教に対して敏感となっている。また北朝鮮においても同様であり、信心を表現することはできず、多様な宗教施設は展示用として捉えられる。そうしたことから、統一運動における宗教者同士の対話が難しいものとなっている。

 

(聴衆3)韓国や北朝鮮の人は、日本人に対して歴史的認識の欠陥を指摘することがある。そこでいう歴史的認識とは、数千年の歴史を含めてのものか、それとも植民地時代に限ったことであるのか。

 

(李先生)過去は現在の経験に根拠して解釈されるのである。そして現在の経験を根拠として未来を想定する。よって、事実は客観的であっても、認識としては現在が反映される。その主観的な反映は、もちろん韓国に限ったことではない。とはいえ、現在の韓国人の歴史認識は、20世紀の経験を通したものである。よって、多くの韓国人にとって、数千年の歴史重要なことであるが、今、実感できる歴史ではない。植民地時代が長かったわけではないが、それなしに20世紀の韓明することはできない現在実感している20-21世紀の歴史が重要なことである。

 

(聴取4)統一が韓国と北朝鮮の究極の問題でしょうか。両国とも主権国家であることから、国家の統一は非常に難しいと思う。そこで、国家連合のような互いの主権を認めつつ、新しい制度構築という方法についてどう考えるか。そうした緩やかな制度構築によるconfidence building(信頼醸成)を行うことについてどう考えるか。

 

(李先生)それは、金日成総書記が主張した国家連邦制と非常に似ている。また、金大中大統領と通じるものである。私も、国家連合のように緩やかに結合し、互いを理解する時間(過渡期)を設ける必要があると考える。また、軟性複合統一論の基礎にも、過渡期を長く確保しようとする意図が含まれる。

 

(聴衆5)南北の統一の最大の支障は、背景にある保護国の対立ではないか。また、統一運動について、宗教団体の活動がどれほどの影響を与えられているのか。

 

(李先生)韓国は中国、米国、日本、ロシアなどの状況に強く影響されるため、この100年ほどは、韓国が国家の問題を独自に決定できなかった。統一運動は、それに対する一つの抵抗であり、自らの決定を行使したいという思いが根底にあるかもしれない。

 二つ目の質問については、宗教団体の一つの役割は、一つ一つは小さいが、一般の人たちの声を掬い上げ、これを多く集積させて浮上させることである。

 

(聴衆6)韓国と北朝鮮の若者は、互いの統一に関する問題の認識について交流できるのか。

 

(李先生)現在韓国と北朝鮮の若者の純な交流は構造的に易しくない。それは、方の政府が統制しているからである。方の政府の許容の下にスポツなどの一時的なイベントがたまにあるだけである。 の分に日本も史的責任がある。統一問題に心を持ってくれてほしい

 

以上