1月(176回) 講演要旨・質疑応答


地域文化学会第176回月例研究会・公開セミナー 2013126日(土) 

講師:加藤淳平先生(常磐大学)

テーマ:「冷戦」の虚実

 

[講演要旨]

 第二次大戦後からの「冷戦」(Cold War)は、同時期の国際政治を見る唯一・最も重要な座標軸であり、ソ連崩壊という結果により西側が勝利し、東側は敗北したといわれている。しかし、「冷戦」の実態は一般にいわれているものと相違があるという認識のもとに、「冷戦」の虚実について加藤先生の見解が述べられた。

 「冷戦」は自由主義と社会主義の「イデオロギー対立」であるといわれているが、「冷戦」概念が出てきた背景には第二次大戦直後の西欧エスタブリッシュメントの既得権益層の危機感と米国の伝統的な外交姿勢(いわゆる「孤立主義」)、それに米軍動員解除と欧州派遣軍の帰国、第二次大戦時の巨大軍備の縮減への「軍産複合体」の憂慮がある。ロシアは東欧進攻等により国土の西側に緩衝地帯を設けるが、これは防衛的考慮によるものであり、コメコンの設立や東独の独立,さらにはWTOの設立も米国と西側の措置に対応するためのものである。然しヨーロッパにおけるソ連の脅威を誇大視した「冷戦」思考は広く人口に膾炙し、アメリカは「孤立主義」を脱して「世界の警察官」となることを喜んで受け入れた。アジアでもヨーロッパに始まる「冷戦」が波及したといわれるが、アジアの東部においては、中国の内戦、東南アジアの独立戦争やインドシナ戦争、ヴェトナム戦争に至るまでの状況は、ヨーロッパとは異なる。少なくともアジアでは冷戦という名の「緊張を伴う平和」ではなく、武力行使を伴う「熱戦」(Hot War)が戦われた。

 ヨーロッパでは冷戦当初から西側諸国が優位に立ち、ソ連は軍事費増大等による経済的劣位から脱することができず西側の経済的な優位は強化されていった。ただしヨーロッパにおける「冷戦構造成立」、米ソによる核兵器やミサイルの不断の軍拡により逆説的に戦争の危険は減少していった。ソ連のいわゆる「社会主義」経済は革命当初は重化学工業と強大な軍事力建設の成果を挙げたが、第二次大戦後は欧米に比べて精緻な経済運営の技術や理論が欠如していたために粗放なものであった。

 そのような情況の中にあって、1989年に、ソ連の東欧支配体制の崩壊、米国による「新冷戦」の展開、ソ連のアフガニスタンからの撤退等を背景に、「冷戦」終結宣言がなされた。これを、欧米諸国は民主主義、自由経済、自由な社会の原理と欧米的価値の勝利と捉え、またロシア人さえプロレタリア独裁、共産党支配、言論の統制・制限等の政策が誤っていたと解釈し、後者において市場経済が導入されていくこととなった。

 上記に鑑みるに、「冷戦」とは、第二次大戦直後の平和の到来による軍備縮減と欧州離れに向かう米国国民に対して共産党支配のソ連への不信感と警戒感を抱かせ、これらを停止させる意図をもって西欧において案出された「神話」であり、西欧エスタブリッシュメントと米国の軍産複合体の利益に合致していた。ソ連の脅威を強調したことによって、巨額の援助が西ヨーロッパに流入し(「マーシャル計画」)、西ヨーロッパの経済統合も進み第二次大戦以前からあったヨーロッパの東西の経済力の格差は維持された。これを以て西の自由主義の東の社会主義に対する「勝利」と見る人が多いが、東欧ですら第二次大戦後貧困層の生活水準は向上しており、ラテンアメリカのキューバを社会主義国の成功例と見る人は多く、いわゆる「社会主義」がすべて失敗したとは言えない。そのような例にみられるように、1990年を以て欧米式の民主主義や市場経済の優位が歴史的に証明されたと断言するのはどんなものだろうか。特に中国などアジア東部ではまだ模索が続いている。そのような中で、日本人には「冷戦」概念に縛られない、アジア認識と自己認識が求められるのではないか。

 

[質疑応答](敬称略)

上記の講演に対して、以下の質疑応答がなされた。

 

(聴衆1)ソ連の崩壊の原因として非生産的な巨大組織の存在が挙げられると考えられるが、これらの影響についてどのように考えるか。

(加藤)確かに非生産的な巨大組織が硬直的な運営しかできなくなったことがソ連の経済を非効率なものとしたと考えられる。政権中枢に優秀な人材がいなくなり末端が勝手に動く社会になってしまったことが大きかったと思われる。

 

(聴衆2)フランスの外交姿勢についてどのように考えるか。

(加藤)フランス外交のダブルスタンダードが特徴的だと思う。日本はフランスと外交協力する際には、そのようなフランスの姿勢を警戒しなければならないと考える。例えば、東京サミットの際のフランスと米国の(日本の頭ごしの)合意等がある。

 

(聴衆3)日米同盟をはじめとする日本の戦後外交についてどのように考えるか。

(加藤)鳩山内閣から岸内閣の時代までは日本も相対的に主体的に外交を考えていたと思う。特に重光葵(1887-1957年)が外相だったころは、最も米国との関係を主体的に構築しようとしていた。しかしその後は残念ながら違ってしまった。

 

(聴衆4)日本の外交的な「パワー」とは何か。

(加藤)問題は日本の種々のパワーを維持していくかであり、最も重要なパワーは技術力だと思う。そのためにはもっとエリート教育を重視し、少なくとも世界のどこでもやっている「飛び級」くらいは認めなければならない。

 

推奨図書 孫崎亨編『検証 尖閣問題』(岩波書店、2012年)

 

以上