地域文化学会第174回月例研究会・公開セミナー 2012年11月10日(土)
講師:吉田敦男先生(グローバルナレッジネットワーク社監査役)
テーマ:社会的ジレンマ、インターネット、ソーシャルキュア、そしてピアネットワーク
[講演要旨]
生きにくさや社会的ジレンマの源泉は、人々が自らの都合を優先させて行動した結果として、社会的に望ましくない状態が発生することにある。それらは3.11などを契機として、日本社会の中で急速に顕在化した。これによって、個人を包摂するコミュニティの弱体化及び不在が懸念されるようになり、その再生をどうしてゆくべきかという問題意識が生まれてきた。そうした事態を解決する手法の一つとして、「ソーシャルキュア(社会的救済)」という概念が俄に注目され始めている。これは、市場の力や政府の介入を以て事態の改善を図るものではなく、ピア(仲間)におけるネットワークを利用することで、その実現を目指すものである。
ハイエク(F. Hayek, 1899-1992年)は、経済学が計画経済を可能とする前提について、意思決定を行う少数の人間が、その判断に際して必要となる情報を集約できることにあるが、それは現実的に不可能であることを指摘した。すなわち、一部の人間がトップダウンによって意思決定を行う場合、判断可能(legible)な形式まで縮減するために、末端での再生は捨象されなければならず、その結果としてかかる意思決定の効果は最大公約数に還元されることになる。したがって、膨大な情報を集約すると、必然的に現場とは乖離する事態を引き起こす情報を伴うことになる。敷衍すれば、個々の生きにくさが解消されない現状は、かかる意思決定の仕組みそのものに起因するといえよう。
こうした問題意識を踏まえ、テクノロジーに携わる者を中心として、第三の軸を模索する動きが出てきている。たとえば、ジョンソン(S. Johnson, 1945年-) の提唱する「ピアプログレッシブ」を志向する立場は、マスコミによるネガティブなバイアスを否定する。すなわち、漸進的な進歩が注目されないために、それが世間に認知されず、その帰結として「進歩」は民間セクターによるもの、公共はそれが積み上げた成功に「寄生」しているとの観念が固定化する。しかし、現実のソーシャルキュアには、民間と公共の良さを相互に配することが求められており、それに加え、市場や公共が達成不可能な問題を補完する鍵として、ピアネットワークが必要とされる。
その代表例としてのインターネット現象が、短期間の内に人口に膾炙したことを成功と捉える立場からは、そのモデルをソーシャルキュアにも応用することが望まれる。この点、インターネットの特長は、一つの完成された層の上に、それを共通媒体として異なる層を付け加える多層的構成(マルチレイヤー)を有することにある。ただし、ピアネットワークの起源はインターネットの誕生以前にあることから、その技術は、ソーシャルキュアを深化させるための必要条件に過ぎない点につき留意すべきである。
上述のような構造を具現化する例としては、米国における「キックスターター」があげられる。これは、贈与経済をどのように運営してゆくかというモデルを資本主義に即して再構築した事例であり、無数の人々の寄付や出資からなるクラウドファンディングによって、様々なプロジェクトの実現を促す試みである。この取組みは、資金を活用する段階において、分権化がなされていない従来のシステムと一線を画すものとして期待される。すなわち、金銭を提供した者が、誰をサポートするのかについて特定した上で、それを実行に移すものである。
かようなウェブのスタートアップ機能が構築したのは、人々が金銭的対価ではなく、社会的・信義的報酬のために他人の夢を援助する、贈与経済を運営するための地盤である。吉田先生は、こうしたデジタル技術を活用するピアネットワークの中に、社会的ジレンマを解決するソーシャルキュアを生み出すことで、我々の生きにくさを多少なりとも和らげる糸口を見出せるのではないか、と指摘して講演を終えた。
[質疑応答](敬称略)
講演に対して、以下の質疑応答がなされた。
(聴衆1)ピア・ネットワークは分権的とされるが、これは完全に実現されているのか。
(吉田)ピア・ネットワークが純粋且つ有効に機能するとすれば、それは国家権力による統制が堅固でない情況が前提となる。
(聴衆2)インターネットがもたらした「繋がること」のコストの低下は、それ自体が変質することを意味しないか。
(吉田)環境や場合に応じて、そうしたことも起こりうるが、それとは異なった現象も発生している。やがて、インターネットが一般化する頃には、現状とは全く異なったネットワークシステムが構築されるのではないか。
(聴衆3)ピア・ネットワークの中にあるにも拘らず、個に分断されているように感じる。繋がりを持続させるには、そうしたコミュニティーへ継続的に参加することが肝要ではないか。
(吉田)「繋がること」の意味は、考え方や生き方の方向性を共有することにあると考える。それを持続させるためには、何らかの媒体、あるいは主導する人間が必要となる。
(聴衆4)クラウド・ファンディングが発展した場合、日本の寄付金税制がネックとなる可能性があるのではないか。
(吉田)クラウド・ファンディングの出資に際しても、証券税制的な縛りは強い。その例として、知的所有権の議論があげられる。日本における法律の制定は「限定列挙」式が多い。したがって、新たなものが出てきた場合には、再度法律を改定するプロセスが必要となる。これに対し、米国の著作権法は「フェア・ユース」という一般条項を有している。こうした形に変えなければ、新たなものを認可してゆく上で、その速度は阻害されよう。
(黒田)「ピア」の概念をどのように定義するべきか。また、その構成や成分を分析する必要があるのではないか。
(吉田)peer to peerの意味とは、単純に「繋がること」を指している。この点、ピア・プログレッシブの立場の人間はそこに何かを託している。ただし、それは米国社会で完成された倫理や前提に基づいた理論であるように思われる。なればこそ、日本に即した概念を考えてゆく必要がある。
(聴衆5)かような関心でみたとき、先般の米国大統領選挙において、新たな要素はあるか。
(吉田)SOPA(Stop Online Piracy Act)という事例がある。これは、オンラインにおける著作権侵害を防止する法案の提出に対し、多くのウェブサイトが一斉に閉鎖をしたことで、反対の意志を表明したものである。こうした動きを受けて、当該法案は廃案へと追い込まれた。かような「第三の軸」による「静かな革命」は実際に起きている。
(聴衆6)声を発せない人たちに対するキュアの手段は、専ら「聴く」ことに限定される。そうした中で、深い繋がりをもつことは可能か。
(吉田)コミュニケーションは道具によって規定されるのではなく、当事者が繋がりたいと願うメディアの種類に依拠することになる。したがって、そうした人たちに対しては「聴く」ことが唯一の手段となる。
(聴衆3)ネットワークから「疎外」される人が発生することについて、どのように考えるか。
(吉田)デジタル・ディバイドは起こりうるが、その道具を普及させることで、比較的安価に対処することは可能であると考える。ただし、「使いたくない」、「使えない」人たちに対して、どのように対応するかは重要である。
(司会)現在では、深い繋がりを瞬時にもつことが可能となった。しかし、幼少からこうしたシステムに取り込まれている世代は、そのツールを実際の社会や関係に転換してゆく契機を損なうのではないか。
(吉田)「エコーチェンバー(Echo Chamber)」に関する議論のように、自分たちの関心が同質となる側面は存在する。しかし、最終的には若い世代が、そのスタンスに即したものを決定する。とはいえ、それに対する「外部性」としての年配者が、何らかの情報を共有してゆくプロセスは必要となる。
(聴衆7)若者は「繋がること」を利用して、生きにくさをどのように解消してゆくのか。必要条件が満たされているにも拘わらず、悩みや孤立感は解消されていないのではないか。
(吉田)籠ることは、必ずしも悪いものではない。ただし、その中で苦しんでいる者に対しては、何らかの包摂的なコミュニティーを形成する必要がある。この点、自らの主観による想定は、その機能を果たさないのではないか。
以 上